人生を心(魂)の旅と捉えお話させていただきます。
私は1951年(昭和26年3月2日)三重県多気郡多気町河田2441-1で七林家の長男として生を受けました。
2歳上の恒子は1949年10月20日この世に生を受けましたが誕生間も無く胎盤早期剥離にて10月23日14:30逝去しました。
河田は多気町と明和町の境界になる小さな里山で住民はほぼ農民でした。
両親がこの地を求め購入した土地は戦地から帰還し母と結婚、新たな人生を歩む覚悟を決めた直後でした。
その思いは私の命に受け継ぎ輝き力強く大地に根ざしています。 私の聖地(聖地)です。
父は1917年(大正6年)4月8日隣町斎宮(当時は斎宮村)で七林家の4男として生を受けました。
*七林の歴史詳細は別に記載しますが先祖は江戸時代末期1867年最後の上人一遊(いちゆう)となります。江戸初期1637年(?)徳川家の山田奉行所の一つが<七宝山講堂院蓮光寺>です。斎宮史にも記載されておりますしかし幕末の<廃仏毀釈>によりお寺は焼失し一遊は一農民に。
父は家計は貧困ながら学問を目指し兄弟の支えもあり東京の豊島師範に入学でき卒業後は大学で歴史を専攻。その後都内荒川区教師に赴任しました。
その後第二次世界大戦開始直後から埼玉県熊谷駐屯基地に所属し戦地に赴きましたが無事帰還しました。
ここで河田時代の生活模様を少しお伝えします。
*私の歴史(日記)参照してください。(別blog)
1959年(昭和34年)9月26日(当時8歳)の伊勢湾台風は我が家も近くの櫛田川の氾濫があり深夜濁流が流れ込み必死で近隣に引っ越しできました。
我家の家財道具一式が紛失し室内は泥が堆積、周りには動物の死骸等が散乱し翌朝の晴天と共に自然災害の恐怖を初めて目にした日になりました。
確か1961年(昭和36年)9月16日(当時10歳)の第2室戸台風と記憶してますがその時は伊勢湾台風の経験から準備をし余裕がありました。
その時中二階で父の尺八を初めて吹いていました。
その映像は今でも記憶にあります。
父との接点は尺八。
父は数本の尺八を所持していまして暇があれば一人で尺八を吹いていました。
唄、踊り等、芸事好きでした。
東京時代の影響があるようです。
尺八は呼吸法がとても大切です。
父が残した写真から教師時代の遠足、学校の行事等にも生徒達と楽しく唄い尺八を吹いている様子が見られます。人生の伴侶だったに違いありません。
その為私と父との思い出は<尺八>がキーポイントです。
尺八演奏は難しいのですが後にNATIVE AMERICA FILUTE(LOVE FLUTE)の出会いが更に力強く私の人生の旅に導くのです。
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私が初めてNATIVE AMERICA FILUTE(LOVE FLUTE)をカセットから聴いたのが1985年。
その直後CDを購入。アーティスト名は米国アリゾナ州に在住のR.CARLOS NAKAI.。名前も日本人ぽく親しみが。
1992年彼は偶然にもアリゾナ州のある日本企業がスポンサーとなり来日し某TV局のプロデューサーとお会いする事になりました。
来日中私は都内のイベントに訪問しプロモーションのお手伝いをする事になります。
R.CARLOS NAKAI.が帰国前には彼らの滞在ホテルに訪問でき交流が始まりました。
1993年 CD「弓の島」プロジェクト開始
*湯島聖堂にてイベント
*京都法然院にてイベント
*京都法雲寺に「CD 弓の島」レコーディング
*1994年 CD 弓の島 発売(日本・米国)
時代は少し遡り
1978年から環境(医・食・住)問題に関心が向き81年迄米国サンフランシスコに留学し現地のライフスタイルを学びながら自己意識との対面を繰り返し今迄実生活で気づかなかった私の母の言霊(精進)と繋がります。
母の生家は伊勢市近郊で江戸時代初期から続くお寺(天台宗〜曹洞宗)です。
伊勢から熊野街道に続く旧熊野街道沿いに位置します。
私は禅宗の影響もあり1982年からマクロビオテック食品会社オーサワジャパン(株)に就職しました。
会社指針は地産地消文化を大切に
*マクロビオテック品質基準として:「国産優先」「伝統製法」「動物性原料不使用」「精製糖不使用」
*食品の品質基準として:「自然又は有機栽培」「農薬・化学肥料不使用』「添加物不使用」「遺伝子組み換えゲノム編集食品不使用」
*会社の啓蒙として:「一物全体・身土不二・陰陽」いわゆる東洋思想、哲学等を通じ<健康・幸福・平和>の道づくりを目的とする。
1983年から貿易部に配属となり1987年10月迄日本の伝統食品を輸出しました。
取引先は主に米国、マクロビオテック啓蒙思想を共有しオーガニック、エコロジー運動に賛同する企業。
マクロ、ナチュラル、オーガニック市場での地球、エコロジカルな平和的交流は人生を多大なる価値観で暮らす人々
に新たなる気づきを誕生させ新しき世界を創造させます。
やはり異文化の<旅>の大切を感じます。
旅をすればその土地での暮らし方、当然その土地の文化があり学びもあります。
<伝統音楽>は土地での暮らしそのものを受け継いでいる文化です。
当然として今後のライフスタイル、プロジェクト展開として<食><旅><音>は必須条件でした。
このようなイメージを抱いた直後に某旅行会社から連絡が入り<旅>事業に参加する事になります。
1988年8月8日長野県富士見パノラマスキー場にて<いのちの祭り88>イベントに参加しました。
イベント開催後、人と人の流れは自然に他人をリスペクト(尊敬)し新たな展開に発展。
それぞれの<魂>の旅は開始されキャンパスに絵ががけれていきました。
その深い出会いが1990年企画開始した<NATIVE LAND PRPJECT>となりCD <Chaco journey >への道(企画・プロデューサ)に繋がります。
*詳細はwwwから

