Ohsawa Macrobiotics③

(前回からの続き)

当時私は小田急線の鶴川にアパートを借り一人住まい。

朝6時に起きメディテーションをして出勤していました。

毎週木曜日には店頭に並べる野菜の集荷があり荻窪の自然食店「グルッペ」に集荷に行ったり、又、週1度、世田谷の農園に作業に行ったりと楽しい日々の生活が続きました。

しかし、1983年、本社が東北沢から板橋区の小茂根に移転し、会社の規模も拡張。

私も3月から貿易部に配属となり上司は桜沢先生とインドで無双原理を学んだ村田鶴彦氏。PUネームはFrank(フランク)。PUネームとは桜沢如一が愛弟子を英語ネームで命名した名前です。

オーサワジャパン貿易部は基本的に桜沢如一の弟子達が世界に広げてきたマクロビオティック食品の普及の為、Ohsawa Macrobioticブランドを普及させる大きい任務があります。

当時、主たる海外ビジネスパートナーは米国カリフォルニア州チコ市のチコサン社。

代表取締役社長はボブ・ケネディー。当然彼も桜沢如一の愛弟子でした。

(続く)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です