チコサン社はライスクラッカー(ポンセン)を全米で最初に製造・販売した会社。
その背景には、1963年に渡米した桜沢如一の弟子・八木順成が試験製造を繰り返し完成させました。
1968年に渡米した山崎数子(かず子)、現在八木数子と共に同志としてチコサン社を支えた尽力は隠せません。
八木夫妻はその後シアトルに移転しますが再びチコ市の隣町オーランドに移り1983年から梅の木を植樹し始めます。
毎年少しずつ植樹し2000年6月1日順成氏が死去される迄に全米一番、450本の梅園になりました。
オーランドでは梅干作りを核に味噌作りも開始しチコサン社、George Ohsawa Macrobiotic Foundation(GOMF)等のマクロビオテックネットワークを通じて
サンフランシスコ市内のナチュラルストワー等でも販売されるようになりマクロビオテックフードが拡がりを見せ始めました。
George Ohsawa Macrobiotic Foundation(GOMF)主宰者の、故・ヘルマン相原、コルネリア相原夫妻は桜沢如一思想を啓蒙しながら多くの著作を出版され、VEGA Macrobioticセンターを開設し、学びの場も提供しました。
彼らも又、チコサン社に多大なるサポートした同志です。
*2000年6月1日 八木順成 他界
*2009年7月 八木数子 チコ市のリタイアメントホームに入居
*2016年 自宅&梅園を売却
*2017年1月 Kiyoko&Ron夫妻が管理運営を引き継ぐ