Ohsawa Macrobiotics⑤

(前回からの続き) オーサワジャパンからは、輸出商品として、醤油、生醤油、味噌(玄米・麦・豆・米)、梅干し、乾麺(うどん、そうめん、ひやむぎ、そば)、漬物、昆布、ひじき、わかめ、あらめ海苔、餅、葛、玄米酢、梅酢、胡麻油、…Read More »

自然塩運動と しおのみち③

(前回からの続き) 「CDしおのみち 1の巻 [Mother of Life]」はNOAから発売されました。 弊社は企画・プロデュース&マーケティング、制作費は海の精(当時は自然海塩流通本部)、制作プロデューサーは真砂秀…Read More »

オグラ・オーガニック・プロジェクト①

私(七林芳春)は、1988年1月マウンテンソングを設立しました。 同時にオーサワジャパン時代から海外出張時に同行されていました(株)おぐら製粉所(そば製粉)と契約社員の締結をしました。 任務は地球環境保全を考慮としたオー…Read More »

Ohsawa Macrobiotics④

(前回からの続き) チコサン社はライスクラッカー(ポンセン)を全米で最初に製造・販売した会社。 その背景には、1963年に渡米した桜沢如一の弟子・八木順正が試験製造を繰り返し完成させました。 1968年に渡米した山崎和子…Read More »

自然塩運動と しおのみち②

(前回からの続き) 弊社は1988年から「No Nukes One love Association=NOA(ノア)」という環境・プロデュースチームに参加していました。 主として弊社の役割は、マクロビオティックの普及とナ…Read More »

自然塩運動と しおのみち①

NPO法人日本食用塩研究会は、1971年から国内の塩作り運動の啓蒙を展開しマクロビオティックの創設者・桜沢如一(George Ohsawa)の任意団体・日本CI協会からスタートしました。 私(AMA Japan代表・七林…Read More »

Ohsawa Macrobiotics③

(前回からの続き) 当時私は小田急線の鶴川にアパートを借り一人住まい。 朝6時に起きメディテーションをして出勤していました。 毎週木曜日には店頭に並べる野菜の集荷があり荻窪の自然食店「グルッペ」に集荷に行ったり、又、週1…Read More »

心の酢物語①

「心の酢」のメーカ戸塚醸造所は旧青苔寺米酢工場です。 青苔寺米酢工場は私(七林芳春)がオーサワジャパン(株)勤務時代貿易部で取引がありました。 当時、経営者は長谷川邦夫氏。長谷川氏は農薬、化学肥料不使用でお米、野菜等を生…Read More »

Ohsawa Macrobiotics②

(前回からの続き) それと同時に桜沢リマ先生の料理教室は又格別な一時でした。 私は自炊程度の料理レベルですから植物の陰陽から始まり、原料、加工の知識までを含めた上での料理方法は特別であり、受講すればするほどリマ先生が桜沢…Read More »

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